サイトを作った瞬間は暇でしょうがなかったのだが、それ以後加速度的に忙しくなってきた。
まんま小学生が夏休みの宿題をやっているようである。

もちろん27日の財務会議が迫っているからなのだが…。


明日の26日は家族で木曾駒ケ岳まで、「日帰りで」行く予定だったのだが、
今日もミーティングがあり、27日財務会議ということで、父親が26日にしたのだが
今日の連絡で明日にも予定が入ってしまい(芸ザ連の)、
申し訳なさそうに父親に断りの電話を入れた…。


山登りには特に興味がないのだが、父親が企画するレジャーをことごとく蹴るのも
かわいそうかなあ…と思っていたので、今回は行く気だったのだが…。



携帯を買った。買えた。
他人のを一瞬触るのでは分からなかったことも、ちょっと時間かけて見れば
なんでもないことばっかりだった。そりゃそうか。





今日は、人生の一つの節目だった。

分かっていたはずだった…。もう選択肢がないことぐらい。
でも、どうしても認めたくなかった…。


来年も芸ザ連にいることを…。


芸ザ連という組織の6人のうち、3人は上級職なのである。
そのうち2つ、委員長と庶務担当副委員長は、経験者でなければ、
(つまり、のこりの3人の下級職を一年やった人でなければ)
まず無理な仕事内容になっている。
(ちなみに、現在庶務を未経験者がやっていて、委員長は死んでいる)

もちろん、もう一人の「企画担当副委員長」も、経験者であるほうが望ましいのだが。
それはもう近年あきらめられていたようだ。

しかし、現時点で2年生は私を含めて2人しかいない。
ということは、どちらかが委員長、どちらかが庶務、というのはほぼ決まっていたのだ。

私は逃げたかった。もう一人はなんでも引き受けてしまうタイプの人だ。
その人は、はっきり言って私と正反対の性格の人だ。

異常なほど愛想をふりまき、異常なほど人に嫌われるのを恐れている。

しかし、面と向かって言わない不満がそこかしこでこぼれ、
すぐに全く人の意見を聞かない「暴走モード」になってしまう。
(エピソードは書けるが、書きたくない)
(それってお前じゃんという突っ込みは、一応否定しておく)

その人が、その人のみが残れば、経験者一人ということもあり、
完全に彼女(女です)が芸ザ連の実権を握るだろう。
そうなれば、今より悲惨な状況になるのは目に見えている。

次の局長が死んじゃうけど…私はピアノが弾きたい…
前は悩んだが、今私は自分の意思で財務局長を続けている。
「今放棄したら次の人が死ぬ。それよりはましだろう」
という選択は、やはり何度も心の中であった。

それにしても、である。
「あともう1年…」


しかし、その人とはまさに、3人目の入院者なのだ。
そしてそれは昨日発覚してしまった。


私が残るしかないことは、もっと前から気がついていた。
実際何人にも頼まれていた。

「君が来年委員長になって、どんなに頑張っても30点しか出ないだろう。
しょうがないんだ。芸ザ連という組織がそこまで落ちてしまっているのだから。
だけどもし、君が残ってくれなかったら、芸ザ連という組織は5年は沈む。
君には礎になってもらうしかないんだ。」

これが未成年に浴びせられた言葉だ。
こんな残酷な話は聞いたことが無かった。
頭で分かっていても、それを認めることができなかった。

私は大学1年の時はまるまるピアノを弾いた。弾き続けるだけの夢がある。
財務局長になって、自由な時間は激減した。
自分は自分の芸術を追及したい。それだけしていたい。
何もこんなに真剣に芸術を追求している人間にじゃなく、
もっといいかげんに馴れ合いしている人にやらせればいいではないか。


しかし…

「もう一人に限界が来た」ということを聞いて、一つの決心はした。
「私は芸ザ連に残る」
しかし、もう一つ、
「もう一人は排除して、実権を握る」
ところまで決めていない。


おそらく私は「何か」を得るだろう。3曲ほどのピアノのレパートリーの代わりに。
それが幸福なことなのかどうかは、私には分からない。