「クラシックは当時の世俗音楽」か

「クラシックと言うと高尚なもの、ともすれば難解なものとして取り沙汰されますが、クラシックは当時の世俗音楽であり、我々が普段聴く曲を聴くように当時の人達も聴いていたのです」みたいな話を、クラシックに親しみを持ってもらいたいという意図で言っている人を多く見かけるのだが、私はこれには賛同しない。


まず言っておきたいのだが、私はクラシックを他の音楽に比べて素晴らしいものだとは全く思っていない。もちろん、悪いものだとも思っていない。基本的には音楽ジャンルに優劣をつけるなんて馬鹿げていると思っているし、それぞれの良さを知ればそれぞれ楽しめるものだと思っている。


ではその「クラシックの良さ」というのはなんだろうかと考えると、それはやはりある程度「様式美」みたいな要素を含むものだと思うし、それを楽しむにはその様式そのものに親しむことが求められると思う。


(執筆中)(難航中(笑))


最終的に言いたい事をまとめておくと…

  • 人間なら誰でも良さが分かるローコンテクストな物と、色々なお約束を知っていないと楽しめないハイコンテクストな物がある
  • ハイコンテクストなものが高尚とは限らないが、クラシックのハイコンテクストさは高尚と言って差し支えないものだと思う
  • 当時の観客の、貴族とそれ以外の割合が分からないのでちょっと自信ないが、貴族がたしなんでいたものを「世俗音楽」と言い切るのは無理があると思う
  • たとえばショパンマズルカは、ポーランドの民族舞踊のマズルとその際に奏でられていた音楽を「持ち込んだ」という類のものであるはずで、世俗音楽というのはむしろその民族音楽と今呼ばれている方のものであろう。
  • 「聴けば良さが分かるはずだ」という論法は乱暴であると認識するべきだ。そして、その楽しみ方というものをきちんと説明できるようになるべきだ
  • そしてそれは他のジャンルに置いても同様で、自分の慣れ親しんだジャンルにおける楽しみ方で他のジャンルを評価するのをやめるべきだ。それぞれのジャンルの良さというものを理解して説明できるようになるべきだ。
  • 私はそんなことしたくないが、「分かるまで聴き込め」の方がまだマシなアドバイスなんじゃないだろうか
  • 「分かるものから聴け」もいいかもしれんが、「分かった物が全てだと思うな」という注釈もいると思う
  • ベートーベンの第九の第四楽章の「歓喜の歌」は、誰でも歌えるような単純なメロディーである。あれには、貴族のためのものになっていた音楽を一般大衆が取り戻すといった解釈があるらしい。1-3楽章の「高尚な」音楽を否定し、ある意味「低俗な」四楽章の「歓喜の歌」に至るという構造だというのだ。それを「お前らが好きな第九はクラシックの異端児であり代表曲として考えるのは間違いだ」と言うか「自らの批判すら表現してしまった偉大な作品だ」と捉えるかは意見の分かれるところだろうか