身近な人からの被害を、遠くの人への攻撃に転換すること

「女の人を馬鹿にするような発言をした人」が「遠くの世界」に居て、それがテレビで放映されたとして、それに本気になって怒る女の人ってのは、たぶん普段から、「近くの世界の人」に馬鹿にされてるんじゃないかと思うんですよ。


人はどういう時に怒るのかって話ですが、基本的に人は、自分がそう思ってる、あるいは、そうかもしれないと思ってる、そう思いたくないけど思わされてる事を指摘されると怒るわけです。例えば美人にブスって言っても傷つきやしないわけです。自分がブスでない事は誰よりも分かってる訳で。自分でもそうかもしれないと思うから怒る。あるいは思いたくないから怒る。


そういう人は普段から、配偶者とか、親とか、職場の人とかに「女はどうたら」とか言われてストレスが溜まってるんだと思うんです。でも直接言ってくる人達と闘うと、色々面倒な事になるわけです。きちんと闘おうとすると非常に大きな労力を伴うから黙っている。


だから、遠くの世界の人、自分が叩いても直接自分に面倒が起きなそうな人を叩くことで、周りの人達へアピールする訳です。で、そこで「男は馬鹿」とか言っちゃうので、本来攻撃したい(身近な)人以外にも攻撃を振り撒くことになってしまって、別にその人を虐げてるわけでもない人にとってしてみれば「なんで自分が攻撃されなきゃならんの?ふざけんなし」ってなって反発が起こるんだと思うわけです。


要するに、真の加害者はその人の身近な人なのに、加害者でもない人に報復しようとするから、受け入れ難い意見になるし、言えば言うほど立場を失っていくんだと思うんです。


んだから身近な人と闘ってくれよ!それ以外の周囲に面倒かけんなよ!と思うには思うわけですが、それが出来たら苦労しないという話でもあるわけですよね。だからまあそういうこと(遠くの人を生贄にする)しちゃうのはしょうがないのかなと思うには思うのですが、「出来る限り使わない方が良い方法」だとは思っておいて欲しいなとは思うわけです。その方法は自分にもダメージありまっせ、という話で。




人が怒る時に、「怒るような事を言うと、言われた方が怒る」というのは、もちろんそうなんですけど、原理みたいなのに注目すると、怒る人はイライラをため込んでいて、いつ怒ってもおかしくない人間であり、そこに怒ってもいい対象が目の前にぶら下がるから怒るってことだと思うんです。それは、怒る奴が悪いとも言えるんですが、その状況まで追い込んだ何かが本当の問題であって、トリガーはたいした問題じゃないんじゃないかということです。(これを、「女の怒りはポイント制」と呼んでいるのをツイッターでよく見かけるようになりました。私は女に限った話ではないとは思いますけど、傾向として女の人の方が溜め込むことはあるのかもしれません)


問題は、そうして遠くの何かを罵倒する事には、強化性、つまり、やってるとそれをさらにやりたくなる原理みたいなのがあるってことじゃないかと思うんです。前述の様な無理なアピールをしていると、周りの人達はその人を煙たがって、さらに攻撃される局面を生み出してしまう。それを受けて、さらに文句を言いたくなる。例えば、「男はみんな馬鹿だ」とか言ってると、まともな男が離れていってしまって、馬鹿な男しか周りに残らなくなって、「(自分が接する範囲の)男はみんな馬鹿だ」という説が本当になってしまう、だからまた主張するというようなイメージです。




まあ、色々言いましたが、こうすりゃ解決できるっていうアイディアがあるわけではないです。でも、我々が不幸だと感じるのは、大体において身近な人からの受容が無いからではないかなと思います。そして世間の風潮を相手に闘うのはリスクばかり大きくてお勧めできないんじゃないかなあと思います。


身近な人に行いを改めてもらうには、罵倒するより、ちゃんとお願いするのが、結局上手くいくんじゃないかと私は思ってるんですが、どうでしょうかねえ。