文字だけのやり取りの方が伝わること

よく、インターネットでのコミュニケーションについて「文字だけのやり取りでは微妙なニュアンスが伝わらない」とか言う人が居ますが、まあそれは事実かもしれないけど、文字によるコミュニケーションの方が優れた面もあるなーと最近とても感じています。


私の所属しているピアノ愛好会というサークルでは多くの人がtwitterをやっていて、夜中にみんなで盛り上がったりしています。すると、恐らく一堂に会していたら、他の人が喋っていたら遠慮して喋らなくなる人も、そこでは発言できているわけです。そして、その瞬間は別のことに話題が進んでも、後から発言を拾って話題を広げることもできます。これは、声が大きくて主張が強い人ばかりが発言するような面と向かった場面より、よほど民主的ではないでしょうか?


他にも、例えば飲み会とかやっても、結局一度に話せるのは周囲に居る何人かに限定されてしまいますよね。それが、何十人という人と同時に会話する(と呼べるのかはともかく)ことが可能になっています。いや、私は面と向かって話すのも好きと言えば好きですけどね。


そう考えていくと、twitterのオフ会が、目の前に人が居るのにみんなスマフォを覗き込んでいるという事態さえ、別に悪くないのではないかという気がしてきました(いや、本音を言うとやはりちょっと違和感はある)。


今のはtwitterで会話というか談話をするような話についてでしたけど、最近それよりもっと思うのは、twitterでもfacebookでもそうですが、勝手に書いておいたことを読んでくれて、それで親近感を抱いてもらっている例が結構あるということです。


「当たり前じゃないか」「じゃなかったらなんで書くんだよ」と言われるかもしれませんか、私は私の考えて書いてるようなことが、他の人に興味があることだとはあんまり思っていない面があって、例えば初対面の人にあんな話はしないわけです(若干嘘だが)。でも、私自身は普段ああいうことを考えることに頭を支配されているので、そういう話が出来たらいいなといつも思っているわけです。だから本当にそうなっていると嬉しいな!と思うわけです。


そもそも、私が昔からWebに日記とかブログとかを書いているのは、自分が変な人だから、という意識によるものだと思います。とにかく私は感覚が一般的ではないので、例えば学校の様な場ではみんながやるというような場面で嫌なことが結構あったわけです。でも、ただ場を乱したいわけでもないので、自分の側の都合というものを釈明したい訳です。そしてそれはどうしても長くなるので、すぐに面と向かってというわけにはいかない事が多いのです。だから長文で書いておいて、読んでくれると嬉しいな…となるわけです。


「もやもやと思っている事を上手く言語化してくれる」と評価してもらう事が増えたのですが、仮にそれが本当だとして、それが上手になった理由は、私が自分自身に抱いている、自分は普通ではない、という気持ちによるものだと思うのです。普通の感覚の人は、言語化しなくても周囲の人と上手く馴染めてしまいますから、私は言語能力を高めないと(寂しくて)生きていけない人間だったのではないかと思うのです。


それで、更に思うのですが、面と向かって話す能力より、文章にして書く能力の方が、今の時代では友達を増やすには有効なのではないかということです。いくら面識があっても、その人が何を考えているかまで知っている人なんてのは、ごくわずかでしょう。いや、比較として考えると、面と向かって話せる人数にはそもそも限界があるわけです。ところが文章に書いてインターネットに載せれば、いくらでも拡散する事が出来るわけです。もちろん、読んでもらう事自体には高いハードルはあると思いますが。


そんなわけで、誰かと飲みに行くことはほとんどないけれど、私が友達だと感じられる人は日々増えていて、嬉しいな、みたいな話なのでした。