対等になりたいとは限らない

例えば先輩と後輩が居た時、後輩というのは先輩と対等でありたいと思っているものだろうか。親と子が居た時、子は親に対等であって欲しいと思っているだろうか。先輩には「自分より立派であって欲しい」という気持ちを持っている人が多いのではないかな。


私の感覚的には、大学生ならこれぐらいの比率だと思う。「後輩は先輩に―」

  • 立派であって欲しい→60%
  • 対等であって欲しい→30%
  • 下であって欲しい→10%


一人の人格として尊重される事を悪く思う人はいないものの、先輩に全てにおいて対等に接されるという事は、必ずしも望まれていない。先輩に「後輩扱いされる」事を望んでいる人というのは多いと思うのです。それを、「対等に接するのが嫌われないコツ」みたいに思って、必要以上に後輩に下手に出過ぎたりしてるケースが多いんじゃないのかなとぼんやり感じています。


ここから先の話がここまでの話と関連があるか分かりませんが、人間のタイプとして、結構「主体性を持ちたい人」と「従属したい」人ってのが分かれてるような気がするなあと最近ぼんやり思いました。そして「対等でありたい同士」か「主体性を持ちたい人と儒属したい人」という組み合わせが付き合いとして上手く行ったりするんじゃないかな…とか。