授業をしてみて思った事

今年で非常勤の大学の授業を2回やり終えました。やってみて、自分が授業を受ける側だった時には気付かなかった事にいくつか気付いたので、その話をしようかなと思います。まあ、気付かなかったというか、そうだろうとは思っていたけど、やっぱりそうだったみたいなことも含みますけど。


私は前から「学期の最後にテストをやるだけじゃ、そこまで学生の理解度って分からないよね?途中でテストやレポートを課して、理解度を見て授業を変化させなきゃダメじゃない?」と思っていたので、レポートを途中4回出しました。確かにそれ自体はもくろみ通り良かったのですが、約100人のレポートを採点するのは大変で、気合が無きゃ出来ないなと思いました。なにせ、レポートをなくしちゃえば学生は喜ぶし、しかも私も喜ぶという構図なので、良い教育をしようという意地みたいなものしかそれをやる理由がないのですよ。


また、課題の内容自体も、考えること自体が楽しいような、自分が出されたとしても取り組んでみたくなるようなもの…と考えて出題したのですが、そういうのを考えるのも難しいし(楽しいですけど)、何よりそれはまた採点が難しくなりがちなんですね。テストでもそれは同じでした。


ですから、面白くない授業というのがあったとして、それは先生がそれに十分な時間とエネルギーを割ける状態だったら面白くなっていた可能性というのは十分にあるなと思いました。出題する問題なんかも、かなり採点の都合で決めざるを得ないのだなということが実感として分かりました。私も、これ以上人数が増えたら、今の内容を出来るか再検討しなきゃいけないと感じました。もちろん、採点しやすいように問題を作ること自体は考えていきたいなと思いました。それ自体が目的にならないよう注意しつつ。


また、受講人数が増えることは、単に仕事としてみると良い事があまりないなと思いました。今年はシラバスを書き直した効果か二年目で知名度が出たせいかは分かりませんが、去年より受講者が増えました。するとやっぱり採点が大変なんですね。去年は2コマの内1コマが受講者居なくて授業自体がなくなっちゃったんで、そうなると給料が減って困るんですけど、それ以上は増えても特にいいことないんですね。一応、受講者が1コマあたり100名を超えると手当が付く仕組みになってはいるんですけどね。


だからシラバスをつまらなそうに書いた方が得とか(笑)、授業の最初に高圧的な事を言って受講者を減らした方がいいとか(笑)、そんな可能性についても考えてしまいました。そして、大学の先生がそういうことを実際にやっていてもおかしくはないなあと思ったのでした。過去の事を思い出して「あの先生がなんか怖かったのはそういう理由なのかしら」とか。


まあでも、私的には授業って、コンサートのステージに上がるような楽しみがあるなと思っていまして、そういう意味では観客が多い方が楽しいなとは思ってましたね。金曜の夕方にやってるんですが、終わった後は毎回打ち上げをしたい気持ちになってました。もちろん、人数が10人を切るとかだったら、授業形態そのものを変えた方が良いんでしょうけど。


次に、とにかく全く自分の仕事をチェック・批判されることがないという事ですね。私は誰とも面接すらすることなく教壇に立ったのですから、とんでもないことです(笑)。いつも自分でおもしろいと思う事をしゃべろうと頑張ったつもりではありましたが、専門的に見た時の正確性はかなり怪しいこともたくさん喋りました。私としては、それらのことはあくまで事例であって、伝えたいことは事例そのものではなくもっと抽象的な概念であることが多かったので、それらの正確性はさして重要ではないだろうとは思っていたのですが、それにしても酷いと言われるかもしれないこともあったと思います。


特に、専門であるはずのコンピュータの話は事例そのものが伝えるべき事だった箇所なので、そこの正確性が低かったのはまずかったなというのが、今年一番の反省です。


そうした内容について、チェックされる機会は全くありませんでした。教えてる学生にもし詳しい人が居たら、呆れていたかもしれません。そういう指摘自体は無かったですが。なかなかそんなの言ってくれませんよね。授業評価アンケートはありますが、それは隔年という事で、去年はなくて今年が初めてでした。


ですから、授業の質は完全に先生に任されています。それは気楽という面もありましたしたけど、こんなんでいいのかなという不安もありました。ですので、教員同士のFD的な集まりが年一回あったので、そちらに参加して、他の先生方に自分がどんなことを教えているのかを話すようにしました。そこで面白いと言ってもらえて、それなりに手ごたえが得られたので、少し安心することが出来ました。話を聞いたところ、他の先生が担当している専門科目については、学部としてどんなことを教えて欲しいか完全に指定しているそうです。医療系なので、卒業前の国家試験の対策みたいな授業ですね。そして基礎科目(私がやってるようなの)については、完全にお任せという形でした。


でも、もっともっと手を抜いていても、職を追われるようなことはなかっただろうなとは思いました。そして頑張っても業績につながるわけでもない。研究室を持っている先生ならば授業の良し悪しで志望学生が増えることがあるかもしれませんが、非常勤だとそれすらない。なので、本当に先生次第でつまんない授業になっていても放置されるんだろうなと思いました。まあそれは、自分の学部生時代にも感じていましたが…。


もちろん、凄い高給を貰っているというわけでもないので、それでいいというか、それぐらいの事しか求められていないんだろうと考えることも出来ます。お金を稼ぐ仕事としては、頑張り過ぎないのも大事なんだろうとは思うのですが…。やはり教育というのは効率とは馴染まないものなのかなあなんて考えてしまいました。



私が授業をやることを自分の指導教員に伝えた時に言われたのは「授業は自分のためにやるんですよ。授業をするために自分が必死に勉強することが大事で、それが結果として学生に伝わるかなんかは重要じゃないよ」ということでした。なかなかぶん投げた言い方だと思うのですが、私好みの考えだなと思いました(笑)。少なくとも、自分が喋って許せることを喋る。自分がいつも聴衆より要求が厳しければ、自分の決めた水準をクリアしていれば、聴衆は十分満足してくれる。それはアーティストの発想ですね(笑)。ま、それは小中学生の先生とかに求められていることとは違うのかもしれませんけど。


あと、授業の最初に「授業の内容を勝手にインターネットで書いたりしないようにしてください」と学生に伝えました。最近はtwitter等で授業を実況するような人も居ます。それの何が問題なのかというと「大学の授業の場では、世の中のタブーになっているような事も扱うから」だと伝えました。世間的には「お金を取って話していることを勝手に公開するな」みたいな理由が掲げられるようですが、私的にはこっちの方が大事な観点かなあと思っています。


「みんなに精査されたら間違いだらけだとバレるのが怖い」みたいな気持ちもゼロではないですが、そのことと、その場にいる人にとってふさわしい説明をするということはある程度不可分な問題なのではないかと思っています。


最近は大学の授業を録画して、インターネットで公開して共有しようみたいな動きがありますが、そう