頭が良い悪いの談義

頭が良い悪いに関して,自分勝手な定義をして「頭が悪い事の価値」を主張する人がたくさんいるが,言葉の定義的に「良い」と言ってるものが良いに決まっているではないかと思うのだが.


例えば,「頭の良い人は自分が頭が良いから難しい説明でも分かってしまうため,相手に分かりやすく説明できない」というようなことをよく聞くのだが,それは,「理解力的には頭がよく,説明力的には頭が悪い」というだけのことだと思うのだが.


言いたいことは,それは「どっちかができたらどっちかはできない」事ではないということである.理解力が高くて説明力も高くなればいいではないか.なぜそう思わないのかよく分からない.自分で「これは出来なくても仕方が無い」と規定するのはもったいない.


長所を伸ばした方がいいとか,そういう話なら(本当にそれが良いかどうかはともかく)分かるのだが.

頭が良いというのは何の能力の事か

ここまで書いてふとした疑問が浮かんだ.


「頭が良い」というのは,世間的には,特定の能力に向けてそれが優れている事について言われる言葉なのではないか.つまり,各種の能力が同列ではなく,皆が感じる優先順位があるのではないか.上記の例で言えば,「理解力>説明力」なのだ(頭が良いという言葉の指標的には).