なぜ対戦ゲームが好きではないのか
私は対戦ゲームがあまり好きではない.物凄く嫌いという訳でもないが,進んでやろうとはしない.それが何故だか自分でも良く分かっていないので,これから自問自答してみる.
考えられる要因としては、
- 勝つのも負けるのも好きじゃない
- 相手が(もしかしたら自分も)勝敗抜きにゲームを楽しめるという事をあまり信用してない
- たいてい習熟度に差があって勝負にならない
- 対戦が面白いのはある意味当たり前だと思っている
- 勝つより上達したい
- 上達のためと勝つために取るべき行動は違う
こんなのが浮かびました。
勝つのも負けるのも好きじゃない
まず私は「競争する」事自体が嫌いなのかもしれません。考えてみたら、ゲーム以外でも割とそうですね。
また、ゲームをゲームとして楽しめない人というのが居て、相手がそうでないという事を確信できないと嫌だ、というのもあります。具体的に言うと、負けて本気で不機嫌になったり、勝って相手を馬鹿にするような人でないということです。後者は別に私が馬鹿にされるだけなんでいいんですけど、前者は本気で困ります。
たいてい習熟度に差があって勝負にならない
ゲームソフトを持っている人と持っていない人でゲームをやっている時間は全然違いますから、他人の家に呼ばれて、あるいは自分の家に他人を呼んで、対戦ゲームをやるとなると大抵所持者の圧勝になります。「お互い練習してきて勝負しようぜ!」という方向性なら悪くないと思います。
対戦が面白いのはある意味当たり前だと思っている
これはコンピュータゲームにしかない話ですが、コンピュータの敵(つまり的AI)がどういう行動を取るかということに凄く興味があって、その出来について感心したりしたいので、対人だと自分と同じ条件なんだから自分と同じように動かせるに決まってるじゃんみたいな気持ちがあります。
勝つより上達したい
これは結構私の中では重要なのですが、対戦をしていて、勝つための最適戦略をとりたくないという気持ちが多々働きます。例えばぷよぷよには有名な「カエル積み」という戦略があります。これは何も考えなくても初心者をほぼ間違いなく駆逐できるだけの強さがあります。でも上級者に勝つためにはいつまでもこれに頼らず、ちゃんとした連鎖の組み方を覚えていかなくてはいけません。でも、対戦の場で「勝つこと」以外を目標にしているのはよくないのではないでしょうか?
対戦が可能なゲームにおいて、コンピュータとの対戦では色々な手段を試しててもいいような気がするのですが、人間相手の対戦は「本番」という意識が強くて、そこではレバガチャだろうがなんだろうが勝つことがすべてだと思います。でも、どうしてもレバガチャしたくない、みたいな気持ちがあるようなのです。
これは、ゲームによってはそんなに問題にならないかも知れません。
その他
なんとなく思ったこと。
ピアノ練習なんかでもそうなんですが(ピアノはゲームじゃないが)、漫然と練習してしいて上手くなりたくない、というような気持ちがあります。意識的に「今度はこれを試そう」と考えて実践したいのです。
特にゲーム(対戦でないようなもの)は、漫然とプレイしているうちに出来るようになるという体験が嫌いです。何が出来たことによってそこがクリア出来るのかということを自覚したいのです。きちんと理解できるまで先に進めないようにしていて欲しいのです。